変人力

シアトル留学中大学生のブログ

オワリはじまり

f:id:taccho:20170828130906p:plain

昨日、明治大学体育会硬式野球部を引退しました。今日は15年間続けて来た野球人生を終え、新しい人生をスタートさせる日でもあるので、振り返りとこれからの抱負を投稿します。  

野球人生を振り返って

僕の野球人生の振り返りに、しばしお付き合いください。

怖いものしらず小学野球

 僕の野球人生の始まりは小学校2年生のとき。地元のソフトボールチームのチラシを見かけたのがきっかけでした。それからすぐに魅力に取り憑かれてしまい、野球なしでは生きてはいけない人間に。プロ野球選手を目指して毎日ひたすらに練習に打ち込んでいました。

肝心の実力ですが、当時は体も大きく、力も強かったので割といい選手だったと思います。4番キャッチャーで市内のリーグ戦ではホームラン王になったりしてました。

中学校

 中学校では学校の野球部には入らずに、新しくできた硬式ボールのクラブチームに入りました。2・3年生がいなかったので、1年生から試合にでまくれるぞと思いこのチームを選びましたが、怪我ばかりで全然野球に打ち込めず、もどかしい思いをしたのはすごく覚えています。チームも弱くあまりいい思い出はありませんが、中学野球の九州選抜に選ばれて台湾に遠征したのはすごく心に残っています。後にプロ入りするようなレベルの高いメンバーたちと一緒にプレーできたのもいい経験でしたが、何よりこの年齢で国際大会を経験し、世界の多様性というものに触れられたことが僕のルーツになっていきました。

病気や怪我と戦った高校

 高校は文武両道で有名な古豪 福岡大学付属大濠高校にスポーツ推薦で進学しましたが、それは僕の人生の中でおそらくもっとも辛いであろう時期の幕開けでもありました。中学校では先輩のいないチームで"お山の大将"の様に振舞っていた僕ですが、一点上下関係が厳しい高校野球の世界へ。練習は厳しく、チームに馴染めずに、精神的に辛くなって喘息を発症。練習中は満足に呼吸もできず、吸引機を常に携帯する様な日々が続きました。また入学当初からメンバーに入れていただいていましたが、高校野球の壁にぶち当たり、全く結果を出せずに厳しい状況が続きます。喘息は1年で克服をしましたが、追い打ちをかける様に、肩の故障に苛まれ、かつては90m以上投げられたのが、30m投げられるかというところまでになってしまいました。

この時は本当に辞めたかった。逃げたかった。でもやっぱり甲子園に出たいという思いが勝り、必死に食らいつきました。3年間でレギュラーとして試合に出たのは短い期間で、最後の夏はレギュラーになれず背番号10の控え選手として迎えました。

 1回戦,2回戦,3回戦と出番がなく、迎えた4回戦。初めて出番が回ってきます。場面は延長10回1点差で負けててるところです。つまりこの回で点を取らないを高校野球が終わってしまうという場面。緊張でびびりあがっていましたが、無我夢中で振ったところ打球はライト戦へ。この2塁打を皮切りにチームは逆転サヨナラ勝利をすることができました。ほんと最後の最後までほとんどいいことがなかった高校野球でしたが、この時初めて報われたなという感覚でした。その後も優勝候補のチームを破るなど、勝ち進みましたが、準決勝で無念の敗退。甲子園に出場とはなりませんでした。

肩を大手術、そして大学野球

 1度は折れかかっていた心ですが、あと一歩のところで甲子園に行けなかった悔しさが自分を駆り立て、大学野球に挑戦することにしました。とはいってもスタートラインに立つ前にやることがありました。高校時代に怪我をした肩の手術。この時には本当に使い物にならない状態になっていました。そして明治大学から合格通知がが決まった1ヶ月後に手術を行いました。そして退院してすぐ、リハビリもまだまだだった状態でしたが、入学式に出席するために上京します。

マチュア屈指の名門での4年間

 無謀にもアマチュア屈指の名門校である明治大学体育会硬式野球部の門を叩いてしまい、僕の野球人生最後のステージがはじまります。周りは甲子園のスター選手だらけ。野球雑誌で顔を見かけるような選手に囲まれての生活が始まります。しかも僕の場合、手術明けでボールも投げられない。入院していたので、他の人よりも1ヶ月遅い入学と不利な条件が揃いまくっていました。正直、入学した瞬間から4年間試合に出れる気はしませんでしたが、親に高いお金を払ってもらっての上京だったので、最後までやり抜くと強く心に決めて毎日を過ごしていました。グランドと野球部寮が併設されていて、さらには室内練習場も使い放題という環境だったので、朝から晩まで練習に打ち込みます。そんな様子を恩人の善波監督が見ていてくださり、練習相手をしてくださったりmチャンスをいただけるようになりました。多くのスポーツの指導者はレギュラー選手や将来有望な選手の相手ばかりをするものですが、善波監督は全ての部員のことを考えてくれる方で、僕のこともちゃんと指導してくださりました。さらには上級生になると数試合ベンチにも入れてくださり、リーグ優勝の瞬間もベンチで体験させていただきました。本当に善波監督には頭が上がりません。

 最終的には個人として大した活躍をすることはできなかったわけですが、妥協なく練習に打ち込み、控え選手としてチームのサポートを行い、日本一にも輝くことができたので、胸を張って野球人生を終えることができました。

野球人生の終わりに

15年間の野球人生を振り返ると本当に辛いことが多かったように思えます。 それでも両親や監督・コーチ・先輩方、そして同期のみんなの支えがあって、最後までやり抜くことができたと思います。 野球人生最後の年に日本一になれた思い出は僕の宝物です。

 お世話になった皆様、どうもありがとございました!

引退後...

さてさて話が変わりますが、ここからはこれから先の話です。 今年で大学を卒業する年になりましたが、休学してもう少し大学生活を延長します。 正直、今まで全てを犠牲にして大好きな野球に取り組んできた充実感の反面、 他の活動に全くチャレンジできないもどかしさも感じていました。 1度しかない人生でやりたいことをやり尽くすために、そして最近芽生えた新しい夢を追い求めるためにあと3年だけ自由な時間を両親からいただきました。(ワガママな息子でごめんなさい) 今後は下のような活動に取り組んで行きます。  
Microsoftインターン
 ありがたいことに、品川にある日本マイクロソフトインターンをする機会をいただきました。ディベローパーエバンジェリズム統括本部という、ITディベロッパーにマイクロソフト技術を啓蒙して行くことを目的とした部署で働きます。
予防医学普及委員会のお手伝い
この団体は予防医学の重要性を世の中に広める活動をしています。具体的な関わり方は決まってないけど、とりあえず予防医学を通じて僕の周りの人を幸せにできたらいいなって思ってます。
③浅草シェアハウス管理人
僕が尊敬する方が経営するカオスなシェアハウスに憧れて、自分でもやってみることにしました。アメリカ人やマレーシア人の住む多国籍なシェアハウスです!みんなあそび来てね!!
④アメリカ留学(2017年9月〜)
「医療」「IT」「ビジネス」のコラボレーションについて勉強するために、アメリカへ留学&インターンに行きます!!  
 

最後に

こんな感じのことを計画してます。 基本的に野球部時代よりは暇なので、面白い企画・プロジェクトのお誘いや、お昼・飲み会のお誘いも待ちしております!それでは。